壱岐通信労組:地方労働委員会で和解が成立! (長崎地本発)

仲間は自ら会社を設立し歩き始める



 2001年の11月以来長崎地方労働委員会で続けていた壱岐通信労組(連合長崎直轄)の和解交渉は三回目の2月25日の交渉で和解が成立し、協定書を締結した。和解終結後に発表した同労組の「声明」は下記のとおり。
 彼らは、九名の組合員で会社を設立し歩き始める。この間の「争議」に関わった一員として彼らの成功を祈念しつつ声明を紹介する(長崎地本発)。

和解終結に当たっての声明

 本日、長崎県地方労働委員会において、私たち壱岐通信労組が申立ていた「平成13年(不)3号 壱岐通信工業事件」は、和解が成立した。5ヵ月分プラスアルファーの要求に対して、4・6ヵ月分である。
 思えば、昨年10月末、理不尽な理由で「会社解散」が強行され、私たちは職を失った。「会社解散」の真意は、私たちが結成した労働組合にあるのではないか、そんな危惧を私たちは持ち続けていた。私たちの危惧が、決して杞憂でないことが「会社解散」から半月も経たないうちに現実のものとなった。会社は、新たに新会社「有限会社・壱岐通信」を設立していたのである。従業員は、私たち組合員9名を除く元従業員、しかも不足の人員は職安を通して採用までしていた。

 「人をコケにするのもいい加減にせよ」、私たちの怒りは頂点に達した。ささやかな抵抗として労働委員会に救済の申立を行った。昨年11月末のことだった。私たちの主張に、当然ながら会社は反論できなかった。自らの非を認めざるを得なかった。「労働組合のことを知らなかった」「社長・会長は経営に関わっていないので新会社も問題ないと思っていた」、くどくどと述べる会社の陳述は、弁解以外の何ものでもない。その証拠に、だからといって、「過去のことは水に流し、心機一転一緒にやろう」とは決して言わないのである。人としての倫理さえ喪失した会社に満腔の怒りを禁じえない。会社の提案は金銭和解であった。今年の1月から始まった地労委での和解交渉は、3回を数えた。

 私たちの真意は、はっきり言って金銭ではない。「新会社」を叩き潰したい、そんな想いでいっぱいである。私たちが味わったいいようのない悔しさは、金銭では氷解できないからである。「踏まれた足の痛みは、踏まれた者しか判らない」というではないか。が、私たちは金銭和解で終結した。"和解ではなく裁判で決着をつけよ"と助言していただいた仲間もいた。今回の終結を、「お人よし」と言われ、いろいろ批判する人があろう。だが、私たちは幾度となく繰り返してきた論議を、前向きに転換した。自らの生きる糧は自ら作り出そう。会社が私たちを切り捨てるのなら、自ら会社を創ろう。その為に全力を挙げよう。私たちの結論は新会社・壱岐電通の設立であった。すでに登記も済ませた 「無謀な選択」と翻意を促す意見も聞く。それが、私たちを思っての忠告であることも承知している。何よりも「無謀な選択」であることは私たち自身が最も認識している。が、壱岐という狭い地域で、民間企業も皆無に等しいところで、どうやって生きてゆくのか。そんな自問自答を繰り返す中で、これまで培ってきた技術と人脈を糧に挑戦する以外にない、と結論づけた。もう過去は振り向かない。愚痴もいうまい。ただ、仲間を信じ、しっかり前をみて進む。

 昨年10月末の「会社解散」から3ヵ月、組合を結成した昨年4月からみてもまだ1年も経っていない。この短い期間に私たちは貴重な体験をした。親・兄弟以上に私たちのことを案じ、親身になって心配していただいた方々がいることを知った。貴重な財産である。筆舌に尽くしがたい深謝の気持ちでいっぱいである。受けた恩は、私たちの今後の行動でお返ししたい。そして、願わくば、私たちの甘えを承知で、今後も末永く私たちを見守ってほしい、力を、知恵を貸してほしい、そう訴えたい。

 私たちは、今、決戦に挑む「イレブン」の如く、円陣を組み自らを激励したい衝動に駆られている。「壱岐通信労組がんばれ!新会社・壱岐電通の未来に栄えあれ!」 この間、お世話になった全ての皆さん、関係者各位に深謝の意を表しつつ、私たちは気分も爽やかに、望みは高く、かく、声明する。

2002年2月25日
壱岐通信労働組合
(全国一般長崎地方本部発行『地本速報132号』より)
詳細は長崎地本ホームページをhttp://www7.ocn.ne.jp/~ntihon/ntihon.htm